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設計、監理、インテリア、エクステリア(庭・外構)を担当
学生時代、哲学科で美学を学んでいた、美術サークルの友人とその家族の家。いくつかの候補地から、住宅地と市街化調整区域との堺に位置する視界の開けた敷地が選ばれた。葛城山の景色と家での生活はどのように関係するべきか? 山の崇高さに気持ちが奪われて日常生活がおろそかになってはまずいが、山の景色は魅力的だ。
そこで水平窓に対して異なる高さの床をいくつか定め、場所ごとの景色の切り取られ方に違いを与えることにした(画像01)。 個々の景色と家具や人、~座ったり寝転んだり立ったりする人~ の状態が関連して場所ごとの質が生まれる。外を感じる人の気分が中の生活とワンセットで変化する。 例えばキッチンでの作業時は、山裾と町並みと田んぼなどの、地域の生活感のある景色が見え、 ダイニングで座ってゆっくり食事をする時は、山全体と田んぼの長閑な景色が見える。 キャットウォークに本を取りに上ると、近くの畑作業の様子や駐車場が見え、 ソファに座って静かに考え事をする時は、山と空だけの抽象的な景色が広がる。 外の景色と内側の生活行為から立ち現れる、類似意識の重ね合わせによって顕在化した場所ごとの質を多種多様にちりばめた空間。
ソファスペースでは、立つと生活感のある景色が見え、座ると山と空だけの抽象的な景色に変わるのだが、立つ→座る動作による景色の急速な切り変わりによって、 山が動いているような、あるいは異世界にワープするような不思議な感覚が伴う。 これは コルビュジェが設計した ガルシュの家 の、外から見た水平窓について、コーリン・ロウが 虚の透明性として指摘した、 異なって見える視覚マジックのような 理論の、 内外の視点場を反転したかたちになっているようだ。
山の景色をどう見るかを考えた時、ぼんやりと念頭にあったのは 円通寺の借景だったが、円通寺が遠近の錯覚によって、対象から認識を解放し、 物 自体としての山を感じさせるような、 瞑想的とも言えるような効果を場にもたらしているのだとしたら、この家では動きの錯覚によって、近似の効果がソファスペースに生じたのかもしれない。