2017/07/11更新2like6926view

著者:SUVACO編集部

専門家フィーチャー

問題解決や改善のためのプロセス自体が「建築」である。[建築家・山中祐一郎さんの横顔]

大学で建築家という仕事に興味を持った山中祐一郎さん。著名な建築家を輩出してきたロンドンの建築学校に留学後、大陸を横断して日本に帰国。帰国後は憧れの設計事務所に勤めたのち独立します。ポルトガルの巨匠アルヴァロ・シザとの協働など、インターナショナルな経験を通じて「建築と他のデザインを分けて考えない」姿勢が身につき、建築にとどまらない多彩な活動をされています。これまでの経歴、仕事について詳しく伺いました。

▽ 目次 (クリックでスクロールします)

山中祐一郎さんの横顔|S.O.Y.建築環境研究所

【profile】
1972年、栃木県生まれ。東京造形大学造形学部デザイン学科II類卒業後渡英。Architectural Association School of ArchitectureでShin Egashiraに師事。内藤廣建築設計事務所に勤務後、1999年にS.O.Y. 建築環境研究所/S.O.Y. LABO.を設立。

職歴:
1996年 内藤廣建築設計事務所に勤務。
1999年 S.O.Y. 建築環境研究所/S.O.Y. LABO.を設立。
    建築設計をベースとして、ランドスケープからプロダクトデザイン、
    アプリ開発まで、領域を超えてデザイン活動を展開。
2001年〜 株式会社アールシーコアの顧問デザイナーに就任。
2013年 空間と時間の研究を目的とするコンピュータソフト開発会社を起業。
2013〜15年 東京造形大学造形学部 非常勤講師。
2016年〜 日本大学生産工学部 非常勤講師。
2016年 株式会社PROPELaを設立。代表取締役に就任。

資格:RIBA(王立英国建築家協会) part1

受賞経験:
1999年 富山デザイン賞
2002年 グッドデザイン賞(商品部門)
2004年 グッドデザイン賞(建築部門)
2007年 DMY(ベルリン)アジアンデザイナー16選(EFoS)
2008年 モダンリビング誌 STYLE MATRIX AWARD(代々木上原の家)
2010年 HOUSECO 家づくりアワード 優秀賞(太子堂の家)
2011年 環境デザインアワード LiVES賞(太子堂の家)
2012年 hope&homeアワード グランプリ(伊予三島の家)

代表作:伊予三島の家

建築家という職能が自分の興味の対象を広くカバーしていた

美術大学の頃

美術大学の頃

クリエイティブの勉強がしたくて美術大学に入り、写真や映画から環境工学まで学ぶうち、建築家という職能が自分の興味の対象を広くカバーしていることを知りました。

学部3年から建築を専修し卒業しますが、ものづくりに携わるには、日本人としてのアイデンティティを日本の外に出て客観的に自覚する必要があると思い、英国のArchitectural Association School of Architecture(AAスクール)へ留学しました。言葉の問題ももちろんありましたが、ハイレベルなワークとプレッシャーで精神的にも相当鍛えられました。

武者修行の4年間、価値観の基礎を築いた留学先での1年半

美術大学に在籍した4年間はバイト先での武者修行も含め、自分なりにかなり頑張ったつもりでした。バイトはイベントスペースのデザイン会社。ちょうどバブル全盛で仕事はいくらでもあったので、学生の分際でいくつもの案件を担当させてもらっていました。数日で取り壊されてしまうイベントスペースとはいえ、自分のデザインが形になるのが面白くて夢中になりました。

だから授業にはあまり出席できず、本分の学業が疎かになりそうでしたが、負けず嫌いの性格から、課題の提出前には猛烈に追い上げるということを繰り返し、先生には「フィニッシュの山中」とあだ名をつけられてしまいました。卒業制作でも代表作品に選んでいただきましたが、きっと生意気な学生だったと思います。笑

ところがそののち留学したロンドンで、いきなり鼻柱を折られます。言葉さえ通じず、自分だけ幼稚園に戻された気分でした。

けれど他に逃げ場がないこともあってスクールの課題に没頭します。言葉の代わりに、スケッチや作品がコミュニケーションの道具でした。気がつくと、1年半という短期だったにも関わらず大学の4年間をあっさり超えるほどの密度で学んでいました。この時の師の教えは、今でも僕の建築に関わる価値観の礎になっています。

「世界の建築とそこで営まれる生活をナマで見る」4ヶ月の大陸横断の旅

最近の旅にて(撮影:原研哉)

最近の旅にて(撮影:原研哉)

留学を終えて日本に帰国する際、見聞を広めようと陸路で行くことを決意して大陸横断の旅に出ます。アフリカから中近東、中央アジアに入ると、途中、テロ多発地帯や紛争地域の国境越えなどもあり、一日一日がまさにサバイバルでした。赤痢にかかり高熱を出したり、銃を向けられたり、完全武装した装甲車に同乗するような経験もしました。トータルで4ヶ月程度の旅路だったのですが、僕にとってのこの4ヶ月は、留学期間の1年半の密度をさらに超える濃厚に圧縮された時間体験でした。

旅の目的は「世界の建築とそこで営まれる生活をナマで見る」ことでしたので、その目的も果たせましたが、この、時が圧縮されていくような体験を通して、空間と時間の不思議に関心を持つようになりました。これが後に自分に大きな転機をもたらすことになります。

憧れの事務所を経ての独立

独立して間もない頃。トヨタの日経新聞の全面広告にて。

独立して間もない頃。トヨタの日経新聞の全面広告にて。

帰国して、憧れていた内藤廣建築設計事務所に入所します(’96年)。在籍は2年ほどでしたが、「海の博物館の教育研修棟」「安曇野ちひろ美術館」「千歳烏山の家」などのプロジェクトに関わらせていただきました。

ここでは内藤さんに「まっすぐ君」とあだ名をつけられたので、多分、真面目なかわりに応用の効かないスタッフだったのだと思います。でも、第一線の事務所で、クライアントも協業相手も素晴らしい方々とお仕事をさせていただいた経験は、自分にとって今でも大きな財産です。

その後、27歳で独立。個人で参加したプロダクトのコンペで大賞をいただくなどいくつかのきっかけがあったものの、あまり計画的とは言えないタイミングでした。自分で出来るかどうか不安だった時、「やったことのない、自分には出来なさそうなことでも、出来ると言って引き受けろ。引き受けてから、見えないところで必死に辻褄を合わせればいい」という、先輩の無茶なアドバイスに背中を押されたことを思い出します。笑

建築コンペから始まったキャリア

当時(’99年)はまだインターネットの黎明期で、ネット上でクライアントと設計者をマッチングする最初の建築コンペサイトが始まった頃でした。けれど何の実績も後ろ盾もなく独立してしまった自分にとっては、それがクライアント候補への唯一の接点でした。実は、独立後最初の3棟はこのコンペで勝って得たものです。だから僕個人のキャリアは、プロダクトにしろ建築にしろ、コンペで始まったと言えると思います。
その頃、そんな実績でも面白がって下さるクライアントが現れます。内藤事務所に勤めていた時にお世話になった有名なリゾートホテルのオーナーで、あるユニークなプロジェクトのために若手デザイナーを探していらっしゃいました。それは松岡正剛さんの「千夜千冊」のための本棚をつくるというお仕事。
’05年。「燦架」という銘を頂いた、松岡正剛さんのための本棚。積み木のようなシステムで、どんな形にも変化する。

’05年。「燦架」という銘を頂いた、松岡正剛さんのための本棚。積み木のようなシステムで、どんな形にも変化する。

「本棚」と言っても普通の本棚ではなく、これについての説明を始めるとそれだけで紙面を埋めてしまうので割愛しますが、この仕事を気に入っていただけたことから、オーナーの自邸「代々木上原の家(’05〜’06年)」の設計や、その先のさらに大きなプロジェクト「Hotel & Spa ARASAKI(’07〜’13年)」につながっていきます。
’06年。初期の代表作。代々木上原の家。

’06年。初期の代表作。代々木上原の家。

ポルトガルの巨匠との協働、アルバロ・シザの徹底したこだわりが生む美しさを体感

’08年。シザさんとの協働。ポルトにて。

’08年。シザさんとの協働。ポルトにて。

三浦半島に日本一のリゾートホテルをつくろうと始動した「Hotel & Spa ARASAKI」では、ポルトガルの巨匠、アルバロ・シザとパートナーシップを組み、6年間協働しました。詩的で彫刻的な空間を作ることでよく知られるシザさんとの協働で、またたくさんのことを学びました。

その創作の秘訣は光の扱いにあります。建築内部は床も壁の天井も光のリフレクターとして考えられていて、それゆえ白を基調としたプレーンな面を作ることが多く、それが緩やかな曲線を描いたりして光陰のグラデーションを生み出します。

邪魔な照明や設備類は一切見せないよう工夫するのですが、そのこだわりは本当に徹底していて、少々の非合理は飲み込んでしまうのです。「合理性にこそ美が宿る」という近代建築の考え方とは違い、協働を始めた頃の僕にはショックでしたが、そのこだわりが生む美しさを前にすれば納得するほかありませんでした。笑
’08年。シザさんとの協働。ポルトにて。

’08年。シザさんとの協働。ポルトにて。

残念ながら、東日本大震災の影響などを受けて着工直前に計画は休止してしまいましたが、これは、今の自分のものづくりのスタンスにもう一つの大切な視座を与えてくれました。震災後、この経験を経て取り組んだ「伊予三島の家」では、震災復興を祈念して創設された「第1回 hope & home アワード」でグランプリをいただくことが出来ました。
’12年。hope&homeアワード にて。名和研二さんと。

’12年。hope&homeアワード にて。名和研二さんと。

建築と他のデザインとを分けて考えない

自分の仕事に特徴があるとすれば、建築と他のデザインを分けて考えていないことです。これはイギリスで受けた教育の影響なのですが、問題解決や改善提案のために重ねるプロセスの構築自体を「建築行為」だと考えることで、その結果たどり着くアウトプットの形態からは自由になれます。時にはグラフィックやプロダクトとして表現する方が適しているかも知れないし、あるいはパフォーマンスアートのようなものになるかも知れないという考え方です。
’16年。僚友、野老朝雄氏(中央)のオリンピックエンブレム選出のお祝い。共通の師であるShin Egashira氏(右端)と。野老家にて。

’16年。僚友、野老朝雄氏(中央)のオリンピックエンブレム選出のお祝い。共通の師であるShin Egashira氏(右端)と。野老家にて。

例えば、同じ師匠の元で学んだ野老朝雄(大学と留学先の先輩)さんも、建築からグラフィック、ファッション、アートの境界領域で横断的に活動し、作品がオリンピックエンブレムに採用されるなど、大活躍されています。同様に自分もアウトプットの可能性に対しては常にオープンでありたいと思っていて、実際の仕事でも、ロゴの制作から、メーカーの商品開発、ランドスケープデザイン、スマホのアプリ開発までいろいろなジャンルで取り組んでいます。

特に、建築家がアプリ開発というと訝しがられるのですが、これは冒頭に述べた「時間と空間」への関心からつながっています。「空間」は容易にデザインの対象になるのに、「時間」を同様には扱えないということがデザイナーとして不満だったことから、みんなが日常的に気軽に使える「時間デザイン」のための道具を考えた結果、それがスマートフォンのアプリケーションという形になったというわけです。

この、スケジューラとナビゲーションが一体化した「PROPELa」というアプリが好評なので、今度はそれを利用したビジネス開発にも挑んでいます。僕にとって「事業デザイン」はほとんど初めての領域ですが、これも「建築行為」だと思えば楽しいですし、社会との関係性がどんな風に“建ち”上がっていくのか、自分でもワクワクしながら取り組んでいるところです。

頭に思い浮かべたことを実現できるのが建築の面白さ

建築という仕事の一番面白いところは、頭に思い浮かべたことを、実空間に実現できるというところ。始まりは言葉やイメージでしかなかったのに、実現させれば実際にその場所に立ち、暮らすことだって出来る。冷静に考えるとこれは凄いことだと思います。

さらに、顧問を務める住宅メーカーの仕事ではそれを全国に流通させるわけです。提示した価値観が社会に受け入れられていく様子を確認できますし、とてもやり甲斐のある仕事だと感じます。

一方で、その実現は一人では出来ないので常に他の何かとの協調が必要です。クライアントやコストはもちろん、環境、法規、構造、設備、工期、材料等の要件、設計のパートナー、工事会社、様々な出入り業者や職人さんたち。これら様々な要素と実現可能な折り合いをつけていくところに、難しさとそれ以上の面白さを感じています。

家づくりでは「気配」を大切に

あるとき引き渡し後の施主から、キッチンに設けたトップライトに落ちる雨の音が聞こえるという話があり、一瞬クレームかと思って身構えました。が、実は「その音に気付いた時に、家に強い愛情が湧いた」という話でした。

「自然と家、家と自分とのつながりを実感した」というエピソードにとても大きな感銘を受けました。以来、ご相談いただく施主とは「気配を大切にする」という価値観を共有することに気を配っています。

よくある1日の流れを教えてください

朝7時半:起床。どんなに寝るのが遅くなっても、無理やり起きて、朝食は家族揃って食べるようにしています。夜更かし明けの場合は、その後に出勤時間まで寝ることも。(笑)

10時:出社。朝から現場や打ち合わせがある場合も多く、移動距離に応じてまちまちです。
仕事場は自宅から徒歩10分のところにあります。移動が多いことを踏まえて、交通の便が良い新宿駅にも近い場所にオフィスを借りています。

昼食:事務所の近くのイタリアンは、ランチミーティングの際にはよく使います。
でも一番多いのは、「移動途中の立ち食いそば」か「移動しながらパンをかじる」という、せわしないケースですが。(笑)

午後:現場チェック、クライアントや協業相手と打ち合わせ、顧問先で会議、大学で授業、と毎日いろいろなので、帰宅時間も毎日バラバラ。
日付が変わってしまうことも、朝方になることもたびたびあります。

帰宅後はスケッチや、文章を書く仕事を中心に仕事をすることもあります。

山中祐一郎さんへの20の質問

1. 建築家/デザイナー以外で選べるとしたら、どんな職業に興味がありますか。
土を触る仕事。農家もいいですが、やっぱり造形したくなると思うので陶芸家や左官職人などに憧れています。

2. 影響を受けた建築家やデザイナーをお一人選ぶとしたら誰ですか。
一人に絞るのは難しいです。様々な価値観から影響を受けています。
江頭慎
内藤廣
アルバロ・シザ
ジェフリー・バワ

3. 好きな住宅建築を一つ教えてください。
ルドルフ・シンドラーの自邸

4. 今までで一番大変だったのはどんなプロジェクトですか。
アルバロ・シザと協働したリゾートホテル「Hotel & Spa ARASAKI(二期倶楽部荒崎)」の計画。

5. 仕事をする上で誰にも負けないと思う点はありますか。
柔軟性。
クライアントの要望は、たいていのことは自分でも納得するかたちで柔軟に組み入れることが出来ると思います。

6. どんなものからインスピレーションを受けますか。
自然。風景。
だから旅が大好きです。

7. 今後仕事で挑戦してみたいことはありますか。
子供が生まれてから、幼稚園とか児童園など子供の施設に関心があります。
色や形ではなく、空間に対するスケール感覚の違いが、表現になるようなもの。
触るもの、座るものから、遊びが始まったり、感性が刺激されるような造作に挑戦してみたい。

8. 依頼を引き受けるかどうか、決めるポイントはどこですか。
クライアントが自分に依頼する理由が明確な場合と、自分からそのプロジェクトに取り組みたいと思える場合は決断は容易ですが、頼まれると断れない性格なので時々失敗もあります。(笑)

9. 施主との初めての面談では、どんなことを聞きますか。
コダワリとワリキリについて。
何に「コダワリ」たいのか。そのこだわりを活かすためにどれだけ「ワリキリ」が出来るかということ。

10. 得意なジャンルや好んで使う素材はありますか。
住宅やリゾートホテルのような、人間を解放する空間。
心理的な作用も含めて、テクスチャーのある自然素材を好んで使います。
経年で味わいが増すものというのも、重要な判断基準です。
11. これまでにどんな家に住んでいましたか。
修行時代は、新大久保の、家賃4万5千円、築40年のボロアパートに住んでいました。
独立開業する頃に仕事場として兼用できる場所に住み替えて、2004年に現在のマンションを購入しました。

12. 今はどんな家に誰とお住まいですか。
妻と息子と水槽の魚たちと一緒に、新宿に購入した中古マンションをリノベして住んでいます。
都心ながら、窓の前に樹齢100年ほどの榀(シナ)の大木があって、鳥がやってきたり、花が咲いて実がなったり、風でざわめいたり、、、日や季節によって変化する、最小限でも自然を感じられる大切な要素があることが気に入っています。

13. 日本で好きな街を3つ挙げてください。その理由もあわせて教えてください。
栃木県益子町 文化。古いものと新しいものが共存するクリエイティブな空気が好き。
山梨県小淵沢町 自然。八ヶ岳南麓の爽快で雄大な景色に魅了されています。
香川県高松市 人。人との距離が近く、よそ者の自分でも温かく迎えてくれ感激しました。

14. ご自宅で使用しているもので、買ってよかったものがありましたら、ひとこと理由を添えて教えてください。
愛車のBMW MINI。
コンパクトながらキビキビとよく走り、10年間故障知らず。
カブリオレなので、気候の良い時はオープンにしてドライブすると最高に気持ち良いです。

15. これから家を建てる・リノベーションする方にオススメする本があれば教えてください。
長町実和子著『鯨尺の法則―日本の暮らしが生んだかたち』 ラトルズ
建築と言うより「暮らし」に関する日本人の何気ない美意識に気づくことが出来る良書です。
家を建てることは目的でなく、その先に実現したい暮らしに思いを馳せることが大切だと思います。
16、ペットは飼っていますか。
ペット禁止のマンションなので、ささやかに小さな水槽があるのみです。

17、料理はしますか。もし、得意な料理があったら教えてください。
結婚してからはしなくなりました。専ら食べる専門です。
留学時代や一人暮らしをしていた頃にはそれなりにやっていて、特に、単純だけど奥が深いオムレツなどの卵料理に凝っていた時期もありました。

18、寝る前や休日時にリラックスや気分転換でしていることはありますか。
たまに温泉やスーパー銭湯に行きます。
露天でお湯に浸りながら新鮮な空気で深呼吸すると、かなりリフレッシュ出来ます。

19、好きな音楽やアーティストはいますか。
STING「Shape Of My Heart」
ギターアルペジオのリフが美しい曲が好きです。

20、好きな言葉・座右の銘を教えてください。
今日という日は、残りの人生の最初の一日。(by ウォルト・ディズニー)
山中祐一郎さんの詳しいプロフィールや作品はこちらをご覧ください。

対応業務 注文住宅
所在地 東京都新宿区
主な対応エリア 全国
目安の金額

30坪 新築一戸建て3,150〜3,300万円

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