2020/12/12更新0like3298view

著者:熊井博子

「いい家」ってどういう家? ー 家の見かた・見えかたを知ろう ー

この記事を書いた人

熊井博子さん

ビルダー・建築設計事務所に営業/広報として勤務した後、住宅専門誌の編集を経て、住宅関連の執筆と一般の方の家づくりサポート等に従事。インテリアコーディネーター、照明コンサルタント。

せっかく家をつくるなら「いい家」をつくりたい。でも、どういう家を「いい家」というのかよくわからないという人も意外と多いかもしれません。
「家を見れば見るほど分からなくなってきた」という皆さん、一度頭をカラにして、家にはどんな視点があるのか、見かた・見えかたから考えてみませんか。

▽ 目次 (クリックでスクロールします)

家は、誰のもの?

家づくりを前にすると、いろいろなイメージが膨らんでくると思います。家族一人ひとりの思いを聞いてみると、「ああしたい」「こうしたい」と夢や希望が溢れてくることでしょう。家は、家族の居場所ですから家族の望む暮らしができることが何より大切です。ただ、心に刻んでおいてほしいことがひとつ。

家は、家族のためのごくプライベートなものであり、同時に公共のものでもあるということ。

「大枚をはたいて公共だなんてとんでもない!」という声が聞こえてきそうですが、これはもちろん所有云々の話ではありません。「家」という存在を、少し離れたところから「景色」として見れば、という話。

私たちが暮らす街は、いろいろな要素が折り重なってひとつの景色を形成しています。田畑や山、川や海など自然と共にあるものや、家や庭、店舗やビル、電柱や看板など、要素の種類は多種多様。私たちはそういうものの連なりを「景色」として見て、その街の色を感じているのです。

家は、そこに建った瞬間街の景色の一部になります。そういう意味で、家はプライベートなものであり公共のものでもあると言えます。もっと言えば、家を持つということは、街並みをつくる責任の一旦を担うことでもあるのです。

部分で見るか。大きく見るか。自分の好きなものをポンとそこに置いたつもりでも、50歩、100歩と離れてみれば、見え方はまるで変わります。
「家は、家族のものではあるけれど、公共のものでもある」と頭の片隅において家づくりに臨めたら、家はもちろん自分たちの暮らす街までも、もっともっと魅力あるものになっていくはずです。

好かれる家、そうでない家

自分にとって「いい家」が、他人が見ても「いい家」に映るとは限りません。自分の住処づくりに夢中になっていると、道ゆく人に「いい家」どころか思いもよらぬ気持ちを抱かせていることがあるものです。

例えば、広いリビングが欲しい・収納が十分欲しい・個室を充実させたいなど必要な空間がたくさんあり、大きな家を望んで境界ギリギリに建つ“大きな家”を叶えたとします。周りの家も同じように建つ地域なら違和感なく受け入れられるはずですが、そうでなければ法規上の問題がなくても「圧迫感がある」「こんなに寄せてこなくても」「一体どういう人なんだ」と、知らないところで反感を買い、住む前から自己チューな人・欲深い人とレッテルを貼られることだってあるのです。

「そんなつもりはなかった」と言っても建ててしまえば後の祭り。家がある限りはその印象が付きまとうことになります。大きな家が必要としても、「人にどう映るか」まで考えながら配置や高さ、色づかいに気を配って叶えたとすれば、ただただ家の内側の事情だけ考えてつくるよりはるかに印象はやわらぐはずです。少なくとも家がために嫌われることはないかもしれません。

また、環境の変化が人の心理に影響することも。
例えば、果樹園だった場所に家をつくることになったとします。ついこの間まで花を咲かせたり実をつけたりしていた樹がある日突然切られると、いつもそこを通っていた人は少なからず寂しい気持ちを抱くものです。基礎工事が始まれば、「ここは家になってしまうのか」とため息をつき、そこに無機質で殺風景な家が完成したとすれば心底がっかりし、「景色を台無しにした」とネガティブな感情を抱くようになるかもしれません。

一方で、そこにあることで辺りが華やぎ、道ゆく人が自然と目をやるような家ができれば、印象は全く異なるはずです。さらに家主がせっせと家や庭の手入れをする姿があったとすれば、ここに建ててくれてよかったとさえ思うかもしれません。

確かに、自分の土地に自分でお金を払って法を犯さず建築すれば誰に咎められるものでもありません。ただその家は、否応無しに人の目にも映り込み、何らかの感情を抱かせるのも事実です。
好かれる家・そうでない家の分かれ道は、自分本位でないかどうか、周囲への気遣いや思いやりがあるかどうか。家づくりという特別なことに我を忘れ、ふだん当たり前にしている気遣いが欠けてしまうことのないように、いつもと同じ姿勢で広い視野を持って臨めたなら、自ずと人にも好かれるいい家ができるはずです。

変わるもの、変わらないもの

家の見かた・見えかたで意識しておきたいことがもうひとつ。時間の経過に伴う「変化」です。

家は実に様々な材料でできています。木や土、和紙など昔からある素材のほか、旧来建材の代替えとして戦後に登場した工業製品の新建材、設備機器や電気機器まで多岐に渡り、何を使うか・選ぶかは家づくりの楽しみでもあります。ただ、いずれの素材も時間とともに日焼けや乾燥、摩擦・摩耗、化学変化などにより少しずつ姿を変え、変化していきます。

変化と言ってもいろいろで、良い場合とそうでない場合があります。
無垢の木は時間が経つことで強度が安定するうえ落ち着いた色味になりますし、銅板は風雨にさらされることで緑青(ろくしょう)と呼ばれる美しい変化を遂げていきます。塗り重ねたり張り替えたり、手入れを前提にした素材は強くも美しくもなり得ます。年月を経ることで育つこともあるのです。

一方で、劣化の一途を辿るほかないものも。新品の状態が最上・最良として作られる工業製品の中には、手入れや交換が難しく、時間が経つほど魅力を失うものも見られます。こうした変化は家そのものの性能や印象にまで影響を及ぼしますから、素材選びは変化を見据えて未来志向で行った方が賢明と言えるでしょう。

また、変化は人の好みや時流などにも起こります。
つくる時の施主の好みや世間の流行りを取り入れすぎると、長い時間の中で周囲や自分の価値観が変化し「かっこいい」から「ダサい」に転化してしまうことがあるのです。音楽やファッションなど、時代や流行とともに変化していくものなら良いですが、家は二十年、三十年とずっとついてまわるもの。簡単に変えることができません。となれば、変化に飲まれない価値観「普遍性」をベースにおいてみるのもひとつかもしれません。

家は、新品の最良・最上のものを集めてつくられるのですから、完成したその瞬間がいちばん輝いて見えるのは当たり前です。ただ、その状態が長く続くわけではありません。
今も未来も変わらず魅力を放つ価値ある住まいを考えるなら、「変わるもの・変わらないもの」の見極めも、家づくりの大きな鍵と言えそうです。
家は家族の思いを背負ってつくられます。つまりそれは、家主の思考の表れであり、人となりの表れでもあります。
「家を見れば家主の人生観がわかる」というのは私の恩師である建築家の言葉。人生一度の大事、「自分を表す」という自覚と覚悟を持って臨めたら、できる家はまったく違うものになるはずです。
お気に入りに追加

この記事を書いた人

熊井博子さん

ビルダー・建築設計事務所に営業/広報として勤務した後、住宅専門誌の編集を経て、住宅関連の執筆と一般の方の家づくりサポート等に従事。インテリアコーディネーター、照明コンサルタント。

SUVACOは、自分らしい家づくり・リノベーションをしたいユーザーとそれを叶えるプロ(専門家)とが出会うプラットフォームです。

家づくりについて学ぶ

「自分らしい家づくり」に大切な、正しい家づくりの知識が身につくHowTo コンテンツ集です。

専門家を無料でご提案

家づくり・リノベーションはどこに頼むのがいい?SUVACOの専任アドバイザーが全国1,000社以上からご希望に合うプロをご提案します。

住宅事例をみる

リノベーション・注文住宅の事例を見たい方はこちら

家づくりの依頼先を探す

リノベーション会社や建築家、工務店など家づくりの専門家を探したい方はこちら

会員登録を行うと、家づくりに役立つメールマガジンが届いたり、アイデア集めや依頼先の検討にお気に入り・フォロー機能が使えるようになります。

会員登録へ

同じテーマの記事

住まいの記事 カテゴリー一覧

専門家探しも、家づくりのお悩みも
SUVACOのアドバイザーに相談してみよう

専門家紹介サービスを見る