もし、有名な建築家が設計した“名作住宅”というものに興味があるとしたら、まず手に取る本としてこれ以上にお勧めできるものはありません。建築や住宅に興味のあるすべての方に読んでほしい一冊です。名作住宅から、自分の理想を育ててみてはどうでしょうか。
▽ 目次 (クリックでスクロールします)
名作ばかりのラインナップ
エピソードと建築的視点が交錯する
シンプルで美しい住宅のプラン
住宅作家ならではの言葉の重み
名作ばかりのラインナップ
この本に掲載されているのは、著者であり建築家の中村好文氏が選んだ世界の名作住宅9作品だ。それぞれにつき約30ページという贅沢なボリュームで、写真とスケッチ(図面)を交えて丁寧に解説されている。
具体的な建築家と作品名は以下の通りである。
・ル・コルビュジエの「小さな家」
・フィリップ・ジョンソンの「タウンハウス」
・アルヴァ・アアルトの「コエタロ」
・リートフェルトの「シュレーダー邸」
・フランク・ロイド・ライトの「落水荘」
・アスプルンドの「夏の家」
・マリオ・ボッタの「リゴルネットの住宅」
・ルイス・カーンの「エシェリックハウス」
・ル・コルビュジェの「休暇小屋」
「あとがき」で著者が、「この本は、私にとって住宅設計の師匠であり、教科書だったその名作住宅を、実際に訪ね歩いたルポタージュです」と述べているように、このラインナップは建築関係者にとって字面を眺めるだけで心が躍るような名作ばかりだ。
住宅は他の建築物よりもクローズドな性質をもち、見学に制約のある場合が多い。この全てを訪ねたという事実自体が夢のようでもある。
しかしこの本をお勧めしたい理由は、ただ単にラインナップが素晴らしく貴重だから、だけではない。
エピソードと建築的視点が交錯する
上から2つ目の「フィリップ・ジョンソン」という建築家を知っている方は、あまり多くないかもしれない。アメリカで活躍した有名な建築家だが、特別建築が好きでなければ知らない名前だろう。
知らなかったとしても、この章を読めば数ページでフィリップ・ジョンソンの人物像がイメージできるはずだ。ジョンソンが経済的に恵まれた環境に育ち、エリートで、資金を心配する必要がなかったこと(うらやましい話である)。その余裕がジョンソンの作風に良い意味で影響を与え、常識に囚われない<怪物>ともいえる建築家になったこと。面白くエピソードが展開されており、どんどん引き込まれていく。
引き込まれていくうちに、気づけばそのエピソードは建築の解説に移っている。ジョンソンの建築哲学、立地や構成、素材。
ところどころに一般的な例えが使われているため、想像しやすい。例えば、間口が狭く奥行きの長い住居は<町屋>で、中庭は京町屋でいうところの<坪庭>だ──と語られると、図面や写真だけを見るよりも感覚的に理解しやすいだろう。また、からっぽの住宅空間と、その空間に対して持主が美術品を置きパーティーを催す、という関係性を連歌の<発句><付合>に例える。
これらは単なる言葉遊びでなく、「タウンハウス」が日本的な趣を感じさせる空間構成である、という話につながっていく。
そして最終的に、はじめに登場した「ジョンソンはお金持ちのエリートで余裕があった」というエピソードが効いてくるのである。
「この建物をたったひとことで表現することは到底できませんが、内部を巡り歩く間、私の胸のうちには『洗練』『優雅』『粋』、それに『贅沢』という言葉などが去来しました(P.36)」
ジョンソンの人柄を先に知った上で建物の解説を読み写真を眺めたからこそ、あぁなるほどと、これら単語の羅列がすっと胸に染み入る感覚があった。
建築には、設計者の人柄や境遇が、如実に形として現れるものである。それは住宅の場合、特に強い。なぜなら住宅以外の建築はよそ行きの、ある意味気張った作品としてつくるが、住宅の設計では「自分がここに暮らせるか」「自分はどんな暮らしがしたいか」について考えざるをえないからである。
悠々自適なジョンソンだったからこその、このからっぽで粋な空間という答えである。
マンハッタンのど真ん中、主張せず通りに面するファサード。オーク材の扉を開くと、すっと抜けたワンルームと、水場をもつ静かな中庭。もと馬車小屋だった建物の表情を残すため、過度の装飾やつくり込みはしないシンプルな箱。その余白を補うように芸術作品が並び、夜ごとパーティーが催される──。
こんなに優雅で洗練された生活が、一般市民に思い描けるだろうか。
単純に興味を抱きやすいのもさることながら、住宅のより深い理解につながるという意味でも、建築家本人のエピソードを面白く知れるのがとてもよい。
シンプルで美しい住宅のプラン
ジョンソンの話題に終始してしまったが、他の建築家たちの作品解説も読み応えがある。個人的に、
以前も紹介したコルビュジェの「小さな家(母の家)」とマリオ・ボッタの「リゴルネットの住宅」が好きだ。
これらの共通点は、シンプルな形状で構成が明解であること。
「住宅の平面(プラン)というものは、ここまで洗練させることができ、ここまで純化させることができるのです。そのことにあらためて目を見張る思いがします。しかも、その手法に才気走ったところや、声高な主張を感じさせない、というところがなんとも素晴らしいのです。(P.115「リゴルネットの住宅」について)」
と著者が語るように、空間の良さが単純明解な平面構成によって生まれているとき、それを見る建築家の心は否応なく踊らされる。ジョンソンの「タウンハウス」も同様である。
シンプルで美しい住宅のプランとはいかなるものか、SUVACO利用者の方にもぜひ一度見てみていただきたい。
なお、全体的/表面的な話だけでなく細かい視点も提供されている(家具を設計する著者ならではの、やや突っ込んだディテールの話も興味深い)。実際には行っていないのに行った気分になるような、でもやはり行って、見て、体験してみたい!と思うような、ワクワクさせてくれる一冊だ。
住宅作家ならではの言葉の重み
最後に「あとがき」の内容について触れておこう。
著者の実家は千葉県にあるので、飛行機が成田空港に着陸する際にいつも故郷の風景を目にするという。そして思い出されるのが、著者が二十代前半で設計した両親のための小さな家だ、と──。
ここからいい思い出話が始まるのかと思いきや、「どう贔屓目に見ても失敗作」だったと、辛辣な言葉で自身の処女作を反省する。
その頃「学生時代から気になっていた古今東西の住宅の名作の数々が、私の目の前に大きくそびえ立つ山脈のように見え始めた」といい、それらの写真や図面を繰り返し眺めるようになり、実際に訪ねて歩き、住宅設計の奥深さと面白さを知るようになっていったようだ。しかしなお「住宅設計の道は遥かに遠く、私の『住宅巡礼』は、まだしばらく続くことになりそうです」──と締めくくる。
この本からは、著者自身がそのような失敗と反省を経て住宅について本気で思考しているからこその、また、住宅の設計を愛しているからこその“重み”が伝わってきて、「ちょっとやそっとじゃ書けないな」という感じがする。重みがあるけれど、口調はあくまで軽やかでユーモア抜群で、読みやすい。
出版されて20年が経つが、そもそも扱う対象が古い作品なのであまり関係ないだろう。
この本で名作住宅を訪ね歩き、「この建築家に自分の住宅を設計してほしいな」とか(実際には無理なのだけど)、「住宅とはかくあるべし」という理想像を探してみてはどうだろうか。すこし遠くてもまずは究極の理想が見つかると、家づくりがより楽しくなるはずだ。